小川洋子 著 文芸春秋 1695円
小川洋子さんの小説を久しぶりに読んだ。前回読んだのは、2004年。
ベストセラー『博士の愛した数式』と『ブラフマンの埋葬』である。
『博士の愛した数式』は、文字通り数字が物語りの重要な鍵を
握っていたが、今回の小説は、「チェス」である。
博士が言葉の代わりに数字を持ち出すのは、
―― 数字は相手と握手するために差し出す右手であり、同時に自分の身を保護するオーバーで
あった。上から触っても身体のラインがたどれないくらい
分厚くて、誰一人脱がせることの不可能なオーバーだった。
それさえ着ていれば、彼はとりあえず自分の居場所を確保できた。
博士の物語と、今回の伝説のチェスプレーヤー、リトル・アリョーヒンの間には、多くの共通点がある。博士が数字を使って他人と交流するのに対して、アリョーヒンはチェスを打つことによって、他者と
会話する。しかも彼は相手の前に姿さえ見せない。なぜなら彼は
アリョーヒンという伝説のチェスプレーヤーに似せた木の人形の下に設えられたチェス板の下に潜り込んで、人形の手を動かしながら、チェスを打つからである。
だから、誰もリトル・アリョーヒンを目撃したことがない。彼は誰とも言葉で会話することなく、駒の動きを
通して相手の性格や人生を透視するのである。
彼が人間として、数少ない言葉でもって接触する人物は、ごく少数である。
博士の物語の中の家政婦さんとその子どもに対するのは、彼の家族(優しい
祖母・祖父・弟)、彼にチェスを教えてくれたバスに住む超肥満のマスターと
その飼い猫ポーン、人形の中でチェスを打つとき、駒を動かしてくれるミイラ
という少女とその肩にとまっている白い鳩。リトル・アリョーヒンという人形になって、
初めてチェスを打った老婦人。それにリトル・アリョーヒンが死んだときに、彼を
埋葬するために彼の小さな身体を抱き上げ、ゴンドラの中で、アリョーヒンの身体を
しっかりと抱きしめてくれていた総婦長さんである。
すべての登場人物が優しさに満ちている。
博士が数式という世界から、大きな世界を見ていたのと同じように、リトル・アリョー
ヒンは、チェスを打つことによって、大きな宇宙に羽ばたいていたのである。
最後の場面も感動的である。
亡骸になったアリョーヒンが運ばれていくゴンドラが山を下っていくときに、アリョーヒン
に会う為に上りのゴンドラに乗っているのが、彼が一番会いたがっていた人物・ミイラ
なのであった。
二つのゴンドラがすれ違うときの描写はこうだ。
―― その時、下から登ってくるゴンドラとすれ違っていった。総婦長さんは自分の使命
を果たすのに精一杯で、そこに一人の女性が立っていることに気づかなかった。彼女の
肩には鳩が載っていた。
女性は手すりをつかみ、すれ違うゴンドラのガラスに映るシルエットを見やった。咄嗟に
とらえることができたのは、鳩と同じくらい白い白衣だけだったにもかかわらず、彼女は
すぐポケットから一通の手紙を取り出した。これを手渡すべき相手が、自分から遠ざかって
ゆくのを感じながら、どうすることもできずにただ立ちすくんでいた。便箋にはたった一つ、
降参を示す記号【~】が記されていた。これだけは直接リトル・アリョーヒンに会って手渡し
たいと最初から思い定めていた、投了の手紙だった。
またまた、さすがと思われる終わり方ですが、『博士の愛した数式』に較べて傑作の度合い
が少し小さく感じるのは、数式に較べて、チェスの駒の動きの持つ意味が、読者(私)には
全く理解できず、そのためにチェスの世界が抱擁する大きな宇宙を、私がしっかりと想像
できなかったからかもしれません。
チェスをよく分かっている方が読まれたら、もっと違った意味を持って迫ってくる小説なのかも
しれませんね。



























