内田 樹 著 ミシマ社 1600円
以前、この人の『下流志向』という本を読んで、書評を書いたことがあった。
現代では、子どもがまず消費者として社会に立ち現れる。そして、お金を介し
て子どもは全能感をもってしまう、という指摘が新鮮だった。

現在、神戸女学院大学文学部教授であられ、その現場の経験を基にして書か
れた教育論。なかなか面白い。
なにせ、「教育について熱く論じるのはよくない」ということを熱く論じてい
る本であり、「政治家や文科省やメディアは、お願いだから教育のことは現場に
任せて、放っておいて欲しい」というのが、唯一の実践的提言だと言うのです
から。
一番にあげているのは、孔子の教えです。
孔子は、六芸が大切であると言われた。
すなわち、礼・楽・射・御・書・数 のことだそうです。
礼:祖霊を祭ること。人間は「存在しないもの」とも、コミュニケーションで
きる。これを人間が学ぶべきことの筆頭に置いたのは、人間に対する
洞察が深い。
楽:楽は、時間意識を涵養するもの。豊かな時間意識を持っていない人には、
音楽は鑑賞できない。
射:弓のこと。敵がいない。弓において、術の成否を決するのは、100%自分自
身の心身です。(自分とコミュニケーションする力)
御:乗馬のこと。馬術で要求されるのは、人間ならざるものとコミュニケーシ
ョンする力。
書・数:読み書きそろばん。浮世を生きていくための技術。
そしてこの最初の四芸こそ、現代の教育課程から、外されたものだが、これ
こそが実は教養教育の本体である、と著者は言う。
実際、財界や産業界からの要求で、最近の15年間ほど教養課程をなくし、第一
年度から専門教育を行ってきた結果、日本の学生の学力は著しく低下して
しまったそうである。
因みに、夜スペや百升計算を導入し、生徒たちの学力をアップさせようとい
う橋下知事の目論見は、大阪の子どもたちの学力テストの点数を多少上昇
させるかもしれませんが、一方で、大阪センチュリー交響楽団の補助金を
切ったり、児童文学館を移転させたり、(即ち孔子の六芸を切り捨てて、最
後の二芸を、特別に重視するなんて)、きっとこの府政の下では、豊かな人
間は育たないことでしょう。橋下改革なるものは、この点でも失敗するで
しょう。
それ故、教養課程で一番大事なのは、どういう授業を、どんな仲間と、どんな
ふうに聴くことで、限られた大学生活の時間を愉快にかつ有意義過にすご
すことができるか、それを探り当てるのもすでに重要な(しばしば授業そ
のものより重要な)知的技術なのです。
だから、著者は、教育への政治的介入や、学力テストには、当然反対である。
学ぶものは、自ら学ぶ。その動機付けが大事なのである。
そして、教師たるもの、自分が学ぶ姿を通してのみ、学生らに学ぶことの喜
びを伝えることが出来る。
それ故、一番大事なのは、メンター(mentor' 先達)に会うことだと言う。
生徒を励まし、失敗を咎め、その上達に満足げな笑みで応じるメンターとの
対面状況がないと、どんな知識も技術も身につかない。
そして、breakthroughをもたらすのが、メンターの役割である。
この結論には納得しました。確かに、私の人生の途上にも、何人かのメンタ
ーにお会いしました。その人たちのお陰で、ここまでやってこられたのも
事実です。
ただ、私の欠点は、学問の場で多くの人と交流するのが、いまいち下手であ
ったことです。
人と交わること、コミュニケーション能力、これが人間にとって、一番大事
な能力なのかもしれませんね。それでこそ、本当の教養が身につくのでし
ょう。



























